過信は、思わぬ落とし穴をつくる

「自分は人とは違う」
「私は特別かもしれない」

そんなふうに、少し思っていたい気持ちってありませんか?

人と同じではつまらない。
特別でありたい。
認められたい。

きっと誰の中にも、少しはある感情だと思います。

でも、その気持ちが強くなり過ぎると、
判断を狂わせてしまうことがあります。

先日、白黒の時代の映画を観ていたとき、
とても印象に残る場面がありました。

世論調査をテーマにした映画なのですが、
全国規模で取ったデータと、
ある小さな町で取ったデータが、ほとんど同じ数字になることを、一人の男性が見つけるんです。

「この町は、アメリカ全体の縮図なのではないか」
そう考えた彼は、その結果をもとに仕事を始めようとします。

ところが、その話を町の新聞社が記事にしたことで大騒ぎに。

全国から新聞社が取材に来て、
「そんな特別な町に住みたい」と移住者が集まり、
商売人も押しかけ、町は一時的に大繁栄します。

まるでバブル状態。

人々は高揚し、
「自分たちは特別なんだ」
という空気に包まれていきます。

でも、次の調査で結果は一変。

全国のデータとは真逆の数字が出てしまったのです。

すると、今度は
「まぐれだった」とバカにされ、
マスコミも、移住者も、あっという間に去っていく。

町は、一気に瀕死の状態になってしまいました。

「この地域だけは違う」
「私は特別だから大丈夫」
「自分だけはうまくいく」

そう思いたくなる気持ちはある。

でも、そこに過信が入ると、
見えなくなるものがあります。

物事は、いつも同じようには続きません。

良いことばかりでもないし、
悪いことばかりでもない。

なのに、
良いときは「自分は特別」と思い、
悪いときは「どうして私だけ」と思ってしまう。

人のこころって、案外揺れやすいものです。

だからこそ、
平常心でいること。
極端に振れすぎないこと。

昔から言われる
「中庸(ちゅうよう)」の精神って、
とても大切なのかもしれません。

浮かれ過ぎず、落ち込み過ぎず。
淡々と、自分を見失わずにいる。

それが、穏やかに生きていくために必要なことなのかな、と感じました。

自分を信じることは大切。
でも、「自分だけは特別」と思い込み過ぎると、
思わぬ落とし穴にはまることがあります。

良いときも悪いときも、
少し引いた目で自分を見つめること。

そんな「中庸」の感覚を持ちながら、
日々を過ごしていきたいですね。

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